「障害者になって、人生の選択肢が増えた」——車椅子生活がくれたのは、“言い訳しない強い心”
障害者の「はたらく」を取り巻く環境は、理想と現実が乖離しているのが現状です。民間企業であれば、全従業員の2.2%に相当する障害者を採用する義務があります。しかし、その水準を満たせている企業はほとんどありません。
また仮に就職することができても、障害への理解のなさから生まれる人間関係に悩み、早期退職をしてしまう雇用者がたくさんいます。能力的に十分こなせる仕事だったとしても「障害者だから」という理由で、採用してもらえないこともあるそうです。
障害者雇用バンク編集部は、そうした障害者の“リアル”をインタビューし、正しい理解を届けることで、よりよい「はたらく」を実現します。
第一弾となる今回は、障害者向け求人サイト「障害者雇用バンク」を通じて東証一部上場企業への転職を決められた久世征士さんにインタビュー。
久世さんは、健常者の頃の自分と障害者となった現在の自分を比較し、「自分は障害者になって、人生の選択肢が増えた」と語ります。彼がそう思うことができた理由と、「はたらく」を取り巻く環境の改善について、お話を伺いました。
16歳の冬、“健常者目線”から“車椅子目線”になって見えた世界
—— 久世さん、本日はよろしくお願いします。まずは、久世さんが持つ障害について、お話を聞かせてください。
久世征士(以下、久世):私の持つ障害は「両下肢機能の全廃」です。
高校生のとき、自宅のベランダから転落してしまい、脊髄を損傷し、下半身が動かなくなってしまいました。
正座を何時間もしていると、足の感覚がなくなりますよね。
僕の場合、そうした麻痺状態がずっと続いていると想像してもらえば、分かりやすいと思います。
車椅子なしでは、生活できない障害です。
—— 健常者から、突如として障害者になられたわけですね。事故が発生した当時、これから生活が困難になると想像できましたか?
久世:ベランダからコンクリートに落ち、その時点でもう感覚がなく、「もしかすると」という危機感はありました。
ただ、当時は「脊髄損傷」がどういったものなのか分かりませんし、病院で治療を受けた後も「いずれ治るだろう」とは思っていましたね。
—— 歩けなくなることを知らされ、どのように感じましたか?
久世:「仕方ない」と思うしかなかったですね。
事故が起きたことは取り返しようのない事実ですし、大きなショックを感じた記憶もないです。ただ、やはり不安はありました。
「今まで付き合ってくれていた友人が去っていくのではないか」、「自分の未来はどうなるのだろう」、「子どもができなくなったらどうしよう」——「歩けない」という事実を受け入れられた一方で、これからへの不安は拭えなかったです。
たとえば、病院から出てみると、想像以上に生活するのが大変だと気づきます。
病院はフラットなつくりになっていて、障害者が生活しやすい環境づくりが徹底されています。しかし、外の世界はそうした配慮が充実しているわけではない。