「ないならつくればいい」——バイク事故から這い上がる、下半身不随のプレ・アントレプレナー #EditorsEye

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編集長宮﨑をはじめ、障害者雇用バンク編集部員が、障がいを物ともせず活躍する方を紹介するコーナー「Editor’s Eye」。今回は、脊髄損傷で車椅子生活となりながらも、車椅子機器業界での起業を志すHiroさんに注目しました。

本日紹介するHiroさんは、19歳でバイク事故に遭い車椅子生活となったあと、専門学校に通いながら「ないならつくる」をモットーに起業を目指して活動しています。

突如、今までの日常が送れなくなったHiroさん。事故直後はブルーな日々が続いたものの、少しずつ時間をかけて現実を受け入れ、「今できること」に集中するようになったといいます。

本記事では、Hiroさんが事故で障害者となってからの経験について、ライター石田がインタビュー。明日障害を抱えるかもしれない私たち、そして今苦労を抱えている人が、Hiroさんの経験から困難と向き合うヒントが得られれば嬉しいと思っています。

Hiroさんの障害は「脊髄損傷」

まず、Hiroさんの障害について。19歳のときに「バイクで起伏に気づかず転倒、体が投げ出されてしまった。脊髄損傷で下半身が動かなくなった」そうです。それ以後、車椅子で生活をされています。

脊髄損傷は、主として脊柱に強い外力が加えられることにより脊椎を損壊し、脊髄に損傷をうける病態である。(中略)略して脊損(せきそん)とも呼ばれる。
脊髄を含む中枢神経系は末梢神経と異なり、一度損傷すると修復・再生されることは無い。現代の医学でも、これを回復させる決定的治療法は未だ存在しない。 (Wikipediaより引用)

事故が起きた当初は、一人での生活がままならない状況から、「精神的に塞ぎ込んでしまっていた」といいます。退院直後は家の改修が終わっておらず、二階にある自分の部屋に上がれなかったり、自力でお風呂に入れなかったりと、身体面でも苦労を抱えたそうです。

しかし友人や家族のサポートを受け、また障害を抱えたからこその出会いがきっかけで、前向きになれたといいます。

障害に直面するのは二度目

Hiroさんは、過去にも障害に直面しています。小学校低学年の頃に、いきなり倒れることがあり、「QT延長症候群」という病気が見つかりました。医師からは「突然死する可能性がある」と告げられ、恐怖心からパニック障害を併発してしまったそうです。

パニック障害が原因で、小学校高学年から中学校の頃にはほとんど不登校になり、引きこもりがちな暗い時期を過ごしたそう。

しかし、高校に入る頃には障害を克服し、活発な性格になったといいます。生徒会長を経験し、Twitter経由でバイク友達をつくって遊びにいくなど、たくさんの友人に囲まれて日々を送ることができるようになったそうです。その矢先に、下半身不随になる事故に遭いました。

ライター石田の推しポイント

近年、ポジティブ心理学で注目されている「レジリエンス(Resilience)」という言葉があります。日本語では「困難を乗り越える力」「挫折から回復する力」と訳されるのですが、この言葉は『心が折れない』という意味だけではありません。

何度も困難にぶつかり、もし心が折れてしまっても、時間をかけて自分を取り戻すことができる『心のしなやかさ』を意味しています。

Hiroさんはまだ小さな頃に精神障害を発症。そこから努力して人生をポジティブな方向に変えたにも関わらず、今度は身体に障害を負ってしまいました。二度も困難を経験しながらも、それでも前を向き続けられる姿勢に、Hiroさんが身につけているレジリエンスを感じます。

「ないならつくる」というHiroさんのモットーは、苦しくて助けてほしいときに、自分に言い聞かせるように発した言葉だそうです。体が動かない大変な状況でも、「自分ができることをやる」自分に前向きな暗示をかけることが、現実に立ち向かう力をくれる。そのことをHiroさんの経験は教えてくれます。

Hiroさんにお話を聞いてみた

ひとり苦しみ続けた一ヶ月、人生二度目のどん底

—— 障害を抱えたと分かったとき、どのように思いましたか。

Hiroさん:事故後しばらくは意識があり、激痛の中で「脊髄損傷になるかもしれない」という医師の声が聞こえていました。「心の準備ができていた」わけではありませんが、手術後に意識が戻り、「下半身が動かない」と告げられても、わりとすんなり受け入れました。自分よりむしろ、周囲の方が驚いていたぐらいです。とはいえ、やはりブルーな気持ちになることは多かったです。

—— 気分が落ち込んだとき、どのように対処していましたか。

Hiroさん:しばらくして労災病院に移ったのですが、そこには同年代の脊損患者が多く、周囲と話して気を紛らわすことができました。悩んだときは、お互いに相談していましたね。

また病院には、友人が何度もお見舞いに遊びに来てくれたので、なんとか気持ちを保てていました。どうしようもないほど気分が落ち込むのは、むしろ退院後、家に帰ってからでした。

退院したあと、家で寝て過ごす期間が一ヶ月ほどあったんです。気軽に相談できる知人がおらず、障害について消化できない感情が沸き起こり、一人で悩んでしまったのです。虚無感から「いっそ消えた方がいいのではないか」と自殺を考えたこともあります。とにかく周囲に迷惑をかけていることが、怖かった。

—— 追い詰められていたんですね。

Hiroさん:精神性の障害を乗り越え、やっと前向きな人生を取り戻したと思ったら、今度は体が動かなくなってしまった。前回は乗り越えられたけど、今回はどうしたらいいんだろう。「なんで生きてるのかな」とまで思いました。人生二度目のどん底は、言葉にできないほどつらかったです。

「なんだ、頼ってもいいじゃん」と思わせてくれた友人

—— 死ぬことまで考えた日々から、どのようにして立ち直ったのでしょうか。

Hiroさん:時間が解決してくれました。すぐに前向きになることは難しくとも、時間をかけることで、現実を受け入れられたんです。

現実に向き合うためには、誰かに支えてもらう必要があります。立ち止まって考える時間をくれた家族には、本当に感謝しています。

—— 他にも、自分を支えてくれたと思う人はいらっしゃいますか。

Hiroさん:友人たちにとても感謝しています。労災病院にはたくさん友人が遊びに来てくれて、彼らが気を遣わず馬鹿なことをしてくれるのが嬉しかった。退院後も遊んでくれて、「大変だろ」と言いながら、気分良く車椅子の乗せおろしをやってくれるんです。気が楽で、本当に救われています。

—— 安心して頼れる方が周りにいらっしゃるんですね。

Hiroさん:最初は「自分の存在が迷惑なのではないか」と恐れていました。でも、友人たちが今まで通り接してくれたおかげで、「今の自分でも受け入れてもらっていいんだ」と自信を取り戻せました。

頼れる存在がいるのなら、素直に頼った方がいいと思います。その心持ちの変化が、前向きな心を取り戻してくれたと思います。

将来の夢を絶たれて生まれた「ないならつくる」の精神

—— 今は車椅子関係の会社を起業しようと考えているとお伺いしました。どのようなキッカケがあったのでしょうか。

Hiroさん:落ち込んでいた時期に、車椅子のパーツを製造販売している方と出会ったのが転機でした。「こんなのつくってる人がいるんだ」と感動したと同時に、「もしかしたら、自分でもつくれるのではないか?」と興味が湧いてきたんです。

—— 「ないならつくる」というモットーの原点ですね。この瞬間、どういった心境の変化が起こったのでしょうか。

Hiroさん:事故後しばらくは本当に困って、「誰か助けてほしい」と思っていたんです。でも「自分が困っていることは、自分の力で解決できるかもしれない」とふと気づきました。いきなり頑張れなくても、「今できることをやればいい」と思えるようになったんです。

「ないならつくってしまえ」は、そうした心境の変化が起こる際に、自分に言い聞かせるように発した言葉です。その言葉によって、絶望ばかりだった世界に少しだけ希望が見えてきました。

—— Hiroさんが最も落ち込んで、困ったことはどのようなことでしたか。

Hiroさん:車椅子生活になったことで、将来の夢だった仕事が絶たれてしまったことです。病院勤務の仕事を目指していたのですが、狭い所に入れないため、諦めざるを得ませんでした。

「やりたい仕事ができなくなったけど、どうしたらいいんだろう?」と悩み続けました。その先にあったのが、起業という選択肢でした。自分がやりたい仕事だって、「ないならつくればいい」と思ったんです。

—— 起業にあたって、具体的にはどのようなアイデアをお持ちですか。

Hiroさん:車椅子で生活するようになって、さまざまな不便に気づきました。たとえば、ドリンクホルダーの位置。通常は普段足元についているのですが、もっと使いやすい位置があるはずです。

他には、買い物袋を車椅子の後側にかけるのは、バランスが悪く危ない。あと私はカメラが趣味なのですが、機材が入ったバッグも、後ろにあるのは扱いづらいんです。こうした課題を解決できるオプションパーツをつくりたいと思っています。

中でも、一番つくりたいのは雨対策の製品です。車椅子用の傘や雨カッパなどの小物はまだまだ不便だと感じます。また自分が雨を防げても、車椅子のタイヤはどうしても濡れるので、家や店内を汚さないよう入口でタイヤの汚れを取れる機械がつくれたらいいと思っています。

—— アイデア豊富なんですね。その発想の源はどこにあるんでしょうか。

Hiroさん:労災病院にいたときに、色々な障害の人たちを見ていたことが、アイデアの原体験になっています。「こういう風に困るんだな」「こういうものがほしいんだな」と分かるようになったんです。

今は「こういうものがあったらいいな」をイラストでリストアップしている段階です。専門学校を卒業して社会で数年働いて準備してから、起業したいと思っています。

障害を抱えたことで広がる世界

—— Hiroさんにとって「障害」はどのようなものでしょうか。

Hiroさん:一概に悪いものとはいえないと思っています。マイノリティですから、特別視されてしまうことは避けられないかもしれません。でもその分、人の温かさに触れることも多くなりました。「お兄ちゃんの車椅子カッコいいね」とか「頑張ってね」と声をかけてくれる方たちがいるのが嬉しいです。

—— 障害を持ったからこそ、感じられる幸せが増えたんですね。他にも、心の変化を感じることはありますか?

Hiroさん:事故を経て出会った人たちや、広がった世界があるんです。たとえば、車椅子の方たちが集まる会に誘っていただき、さまざまな人たちと出会えて交流の幅が大幅に広がりました。一人ではできなかっただろう経験もできるようになり、たとえば今は、HAL FITをお借りして歩く訓練をしています。

Hiroさん:最近では、車椅子で発信されているYoutuberの方も増えています。suisui-Projectのちんさんや、寺田家TVの寺田祐介さん、乙武さんといった方々の行動力を見ていると、まだまだやれることがあると勇気づけられる。「ないならつくる」を合言葉に、車椅子の自分だからこそ出来ることを、これからも追求していきます。

頸髄損傷とは、どんな障害なの?

頸髄損傷とは、交通事故やスポーツでの事故によって、頸椎が大きなダメージを受ける、もしくは頸髄自体の病気によって、発症する障害です。手足を動かすことができなくなったり、物に触れた感触や暑い、寒いといった感覚を受け取れなくなってしまう、といった症状が発生します。

一言に頸髄損傷といっても、症状は人によってさまざまです。頸髄や脊髄からは非常に多くの神経が伸びており、それぞれが役割を持っています。そのため、どの部分をどれだけ傷つけたかによって、症状は異なります。

神経が完全に途切れ、体の該当する部分を全く動かせなくなることを、完全麻痺と呼び、部分的に途切れ、所々が動かなくなることを不全麻痺と呼びます。

頸髄損傷では、体が動かせなくなる、感覚がなくなる以外にも、複数の症状が存在します。

このように、一言に脊髄損傷と言っても、症状は多岐に渡ります。そのためサポートする際には、その人がどんな症状を持っているかを理解した上で、必要な手助けをするようにしましょう。

また脊髄損傷とよく混同してしまう症状として、脊椎損傷があります。この二つは症状の程度の差で、それぞれに分類されるようになっています。

原因となる外力が比較的軽度で、骨や靭帯の損傷のみの症状の場合は、脊椎損傷に分類されます。しかし重度の外力により、脊椎ではなく脊髄までダメージが及んでしまうと、前述の通り、運動機能や知覚機能などに、障害が残ってしまいます。

繰り返しにはなりますが、脊髄損傷には多くの症状があり、同じ障害を持っている人でも、必要なサポートは異なる場合があります。

先入観だけで決めつけるのではなく、その人が何をしてほしいのかまで考え、行動に移すようにしましょう。

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