車いすラグビー日本代表・倉橋香衣さんに聞く競技の魅力と「誰もが働きやすい社会」の実現方法

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障がい者の「はたらく」を取り巻く環境は、理想と現実が乖離しているのが現状です。 アズ・イズでは、なかなか知ることのない「障がいのリアル」を発信することで、障がいを持つ人が、障がいにとらわれず、イキイキと活躍できる社会の実現を目指しています。

今回お話を伺ったのは、車いすラグビー日本代表唯一の女性・倉橋香衣さんです。 学生時代に頸髄を損傷し、車いす利用者に。もともと学校の先生になることを目指していたそうですが、現在はアスリートとしてご活躍されています。

そんな倉橋さんに、車いすラグビーの魅力と、アスリート活動を通じて実現したいこと、障がいを持っていてもイキイキ活躍するコツをお伺いしました。

車いすラグビー日本代表唯一の女性・倉橋香衣さんが感じる競技の魅力

—— まずは、倉橋選手が車いすラグビーに出会ったきっかけを教えていただけますか?

倉橋:学生時代に頸髄を損傷してしまい病院に入院していて、退院後に入所した自立支援施設で車いすラグビーを知りました。 部活動の一環として行われていて、「人数が少ないからぜひ参加してほしい」と声をかけられ、その場で体験してみたんです。

—— そうなんですね!それまで、ラグビーには興味があったのでしょうか?

倉橋:いえ、そもそもラグビーに興味があったわけではなく、また車いすラグビーという競技も知りませんでした。 ただ、知らないことばかりの競技だったので、実際にやってみようと思ったんです。

倉橋:競技を始めたばかりのときに、「もっとこう動けばいいのに」と声をかけられ、「まだ初心者なのに…!」と燃えたことがきっかけですかね(笑)。 悔しかったのですが、それからずっとのめり込んでいます。

—— 競技を始めてみて、車いすラグビーのどのような点に、魅力を感じましたか。

倉橋:一番は「ぶつかり合い」だと思います。 実際に競技をしてみて感じたことですが、タックル(ぶつかり合い)をしたときの迫力は衝撃的であり、会場に響き渡る音も印象的です。 それでいて、障がいの程度で選手それぞれの持ち点が変化し、その持ち点でゲーム中の役割が変化するためその都度戦術が変化する頭脳戦でもあります。 運動能力だけでなく、戦術で大幅に結果が分かれるところに面白みを感じますね。

私は「ローポインター」というポジションを任されていて、主にハイポインターの選手が得点を決めるアシストをしています。 球技が苦手な私でも活躍できるので、役割の多様さにも惹かれています。

会社員とアスリートの二足の草鞋を応援してくれた、商船三井との出会い

—— 障がいをもたれる以前は、アスリートとして生きていくことを考えていたのでしょうか?

倉橋:以前から学校の先生になりたいと考えていたので、自分がアスリートになるとはゆめゆめ思ってもみませんでした。 実際、怪我をした後も教師になることを目指していて、教員免許も事故後に取得しています。

—— そうだったんですね。障がいを負ったからといって、夢や目標が変わることはなかったと。

倉橋:そうです。大学に復学をしたときは、腕を上げることができないし、指も動かせなかったので「復学する意味あるの?」と言われたこともあります。 でも、私は「どうして諦める必要があるんだろう」と思っていたんです。当たり前のように、先生になるつもりでした。

でも、ラグビーに出会い、気持ちが変化したんです。競技に打ち込みながら、会社員としても働いている人の姿を見て、「会社員としてアスリートになる選択肢もあるんだ」と興味を持ちました。

—— 当時から、日本代表を目指していたのでしょうか?

倉橋:私が所属する株式会社商船三井に入社する際、日本代表になる決意をしています。 当時はまだ、代表はおろかチームの試合にすら出られないほど未熟でしたが、会社が私の挑戦を応援してくれたからです。

就職活動の際は複数の企業の面接を受けましたが、他社には「代表になっているわけではないから、仕事に集中した方がいい」と言われていました。 しかし商船三井は、アスリートをしながら会社員として働くスタイルを肯定してくれました。そのとき、「絶対に日本代表になろう」と決めたんです。

入社後まもなくは、週3日勤務・2日練習のスケジュールで、現在は週2日勤務・1日在宅勤務・残りを練習にあて、会社員とアスリートを両立しています。

—— 障がいへの理解があったからこそ、自分のペースで働くことができているんですね。

倉橋:おっしゃる通りです。日本代表になってからは、遠征や合宿で丸々時間が必要になることが増えましたが、都度柔軟に対応をしていただいています。 会社員もアスリートも全力で頑張り続けたいと思えるのは、そうした配慮のおかげです。

障がいを理解するためには、お互いのことを理解することが不可欠

—— 多様性が認められる社会になりつつありますが、まだまだ、健常者と障がい者の間には、溝が存在すると感じています。倉橋さんは、そうした現状について、何か考えていることはありますか?

倉橋:コミュニケーションの量を増やすと、お互いにとって生きやすい社会になると感じています。 たとえば、私が入社したての頃の話。コピー機から紙を取り出す動作に、私は時間がかかります。 でも、一人でもできる仕事です。ただ、健常者の方であれば、すぐに終わる。本当ならお願いした方が、お互いにとって効率的です。

でも、「そんな簡単な仕事までお願いしていいのだろうか?」と悩んでしまった時期がありました。 でも、そうした不安はコミュニケーションを積極的に取ることで解消できます。 健常者の方も声をかけていいか悩むことがあると思うので、より良い方法を普段から模索しておく工夫が大事です。

きっと、障がい者や健常者を問わないことだと思います。 「あの人仕事できない」と非難するのではなく、「あの人はこのくらいの業務量が適切」と、一人ひとりを認め合うことができれば、誰にとっても生きやすい社会になるはずです。

—— アスリートとしての活動を通じ、世間に伝えたいことはありますか?

倉橋:まずは、車いすラグビーという競技を知ってもらえたら嬉しいです。 そして、車いすラグビーを実際に見ることで、同じ「四肢麻痺」という障がいでも、人によって違いがあることを知ってほしい。 障がいに対する正しい理解を得るきっかけになりたいなと思っています。

—— 最後に、記事を読んでいる読者の方に、メッセージをお願いします。

倉橋:車いすラグビーは少しずつ認知を得ていて、テレビでも放送されるようになりました。 それは選手として本当に嬉しいことですが、会場に足を運んでほしいとも思っています。

テレビ放送の場合、ボールを持つ選手が放送の中心なので、なかなか全ての選手を見ることはできません。 また、生で見るからこその迫力もあります。私はそこに一番の魅力を感じているので、ぜひ試合を観に来てください。

倉橋 香衣(くらはし かえ)

所属企業:株式会社商船三井 所属チーム:BLITZ(東京)
1990年生まれ 車いすラグビー日本代表強化指定選手(クラス0.5) 2011年大学在学中にトランポリンの競技中、頚髄を損傷。その後、3年間の治療とリハビリを経て復学し教員免許を取得。 2013年に車いすラグビーを始め、2017年には女性選手として初の日本代表入りを果たす。 2018年にはパラリンピックと肩を並べる大会、GIO 2018 IWRF 車いすラグビー世界選手権で優勝を果たした。

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